砂入博史「沈黙の独裁者」によせて

 

20188月、砂入博史制作の映画「沈黙の独裁者」を見た。この映画は2015年初夏、袴田巌さんへのインタビューを編集したものである。そこには48年の拘禁から20143月末に釈放されて1年を過ぎ、外へと散歩に出かけ始める前の巌さんの発言がまとめられている。

 拘禁によって、巌さんの言葉は意味不明のようであるが、巌さんのなかでは文意は通じている。単文で切りとり、構成を組み替えれば、何がいいたいのか推定できるときもある。袴田巌用語として、その含意を理解することが必要なのだろう。

 出獄後、巌さんに「好きな言葉は」と聞くと「真理」と答えた。当時、巌さんは家の中を独房での生活が続くように、歩き続けていた。巌さんの言葉から、監獄の中で自己を神と措定して、歩き続けて身体を維持してきたこと、真理の実現はすなわち解放であり、その真理の実現を念じ続けてきたことを感じる。

 映画での巌さんの発言には、真理だけでなく、歩く、勝つ、理想、権力、ばい菌、儀式、神、悪魔、無実といった言葉が出てくる。48年間の孤独な監獄での自問と生への限りない欲求、再審実現と無罪解放への詩情が、袴田巌さん独自の世界を形成し、その世界を示す用語を生むことになったのだろう。

 この映画での巌さんの発言から受け取ったメッセージは、真理を実現したい、神となって権力を持ち、拘束を強いる悪魔と闘い続ける、信じて闘って勝ちたい、勝つことが生き抜くことだ、歩き続ける、身体を機械のようにし、強くする、人間としての夢と理想があるんだ、国家に無罪を認めさせる、跳んで歩け、幸せを感じようというものだった。

 映像での、巌さんの拘禁の影を持つ言葉から、見る側はさまざまなメッセージを受ける。映像制作にあたり巌さんは「尊厳のある映像を」と監督に注文したという。巌さんは尊厳をもって発言している。巌さんの現在を知るために、欠くことのできない映像である。

 20186月の東京高裁決定は、「国家に間違いはない、国家はねつ造しない」とする現在の国家意思を、裁判官を通じて体現するものだった。それは巌さんの尊厳をさらに侵すものだった。巌さんは、みずからの尊厳を侵す国家と闘うなか、自己を神へと疎外させ、呪文を唱えるように歩き続けて、生を維持してきた。映画をみながら、その尊厳回復に向けて、再審・無罪を勝ち取るために、巌さんと新たな一歩をすすめたいと思った。(T)